ベルカンヌ様
残念ながら、14日、判決の場にあなたと一緒に居合わせることはできません。しかし、それは「物理的」に居合わせることができない、という意味であって、「精神的」には、当日、私はあなたの隣に居合わせることでありましょう。といいますのも、私がこの訴訟とあなたの孤独な闘いのことを耳にした時から(それは当初から、いくぶん「土の壺=対=鉄の壺」の戦いにも見えましたが)、私はずっとあなたと心を一つにしてきたからです。あなたに対しては、最大限の敬意を表さねばなりません。とくにフランスの関係当局が完全な沈黙を決め込む中で、活動を続けてこられたのですから・・・。あなたは、今、完全な孤独の思いをかみしめていらっしゃるかもしれません。しかし、忘れないでください。何千とまではいわずとも、何百という人々が、世界の四方で、陰ながらあなたのこの闘いを支持しているのです。
はっきりと思い出せないのが残念ですが、かれこれ15年ほど前、「ル・モンド」紙のある記事が私の目を引きつけました。ある国際学術会議の場で(たしか、場所はスイスだったか?)、日本の代表が、会議の公用語として、英語ではなく、フランス語を採用する方に賛成した、という記事でした。インターネットで検索できる同紙の過去の記事の中でこのことを確かめようと思ったのですが、うまくいきませんでした。もし、その記事が見つかったら、ちょっとした議論のタネになったかもしれないのですが。
あなたは、勇気、粘り強さ、そして「信念」を示してくださいました。あなたに、そして、あなたと活動を共にしてきた方々全員に「ブラヴォー」の賛辞を送ります。いつの日か、日本を訪れる機会がありましたら、直にお目にかかって敬意を捧げる栄誉に浴したい、いや、栄誉以上に、その喜びにあずかりたいと念じております。
ベルナール・ギュイヨ(賛同者)